2026年04月06日
総本山醍醐寺声明一流伝授
一昨年より、総本山醍醐寺さまから、声明一流伝授(阿闍梨が弟子に深い真言声明を伝え授けること)の要請があった。
かって、総本山善通寺、総本山仁和寺、種智院大学において、声明の一流を伝授させていただいた。いずれも、1会(伝授の一回分)が1泊2日の25会ほどの、5年ほどの伝授であった。
当時、まだ年齢も今よりは若く健康面でも自信があった。その頃から比べると、現在は健康ではあるが高齢となり、はたして5年というと、無事に終えられるであろうかとの、若干の不安も感じたので、3年でという約束でお引き受けさせていただいたのである。
本年4月21日・22日から1泊2日、ほとんど毎月1会の伝授である。逆算すると1ケ月ほど前から、ほぼ毎日、教材研究をしていかなければ、伝授に間に合わないといえる。
これからは体調に留意し、精進努力しなければと、決意を新たにしている次第である。
ところで、私は伝授の道場は曼荼羅(マンダラ)の世界(相互供養の世界)であり、能礼所礼であると思っている。能礼所礼(ノウライショライ)とは、『仏教語大辞典』では礼拝する者と礼拝される者すなわち衆生と仏とされているが、密教では衆生も無相(ムソウ)の本尊であると説かれる。礼拝する者も礼拝される者も仏である。いわゆる本尊同士の相互供養・相互礼拝である。深秘(ジンピ、深い意味)には、能化(ノウケ、教える大阿)も所化(ショケ、教を受ける受者)も、本来はともに清浄な菩提心(ボダイシン、悟りの心)を具えた無相の本尊であると礼拝しあうのである。つぎに、浅略(センリャク、浅い意味)といっても深いが、能化である大阿(ダイア、大阿闍梨のこと)も所化である受者も、ともにこの伝授により、弘法大師より伝わる真言声明を修学させていただき、実にありがたいと、おたがいに感謝の誠をささげ礼拝する。これが能礼所礼である。
したがって、私も高齢となっているが、妙曲(完全な声明)にはまだまだほど遠いので、死ぬまで精進しなければと自らを戒め、つねに謙虚さをもって、受者の方々に尊崇の誠をささげながら、自分のできる範囲内でみちたりた状態で声明一流の伝授に努力精進したいと、決意を新たにしている次第である。 住職・潮弘憲